29回生の吉本敬太郎です。
私は仙台で大学生活を10年間満喫(本当は耐え忍んだ)後,現在埼玉県和光市の理化学研究所という所に勤めています。
今年30歳の大台にのりましたが,実は社会人になってまだ一年半しか経っていません。職業は研究職。自分でテーマを設定し,研究できるという非常に恵まれた立場にいます。
昨日まで名古屋と福岡の学会に参加していたため,今は久しぶりに広島の実家に立ち寄り,菊一君に頼まれたこのOB日記を書いています。
自分で言うのもなんですが,私は中高の部活でサッカーしていた頃,全然頭を使っていませんでした。
そういうことを教わっていなかったし,知らなかったし,第一そんな余裕はありませんでした(笑)。日々与えられた練習をただこなしていただけ。
自分のサッカーの技術は頭を使う以前のレベルだったし。要は,とにかく私は超下手クソでした。
城北の中学でもサッカー部に在籍していましたが,中学の時は年功序列みたいなところがあり,上級生からレギュラー,人数が欠けない以外はどんなに上手くてもっても下級生はレギュラーになれないシステムでした。
高校に進学し,サッカー部に入部しました。
高校は中学までとは違い実力順です(これがあたりまえですが)。
当時はイッコ上の先輩が殆どいないこともあり,一年生中心のチームでした。数人の同級生は既にレギュラーとして頑張っていた一方で,下手クソだった私は試合になんてもちろん出してもらえませんでした。
でも,その頃の私は「まぁしょうがないな」程度にしか感じていませんでした。
ところがある日,転機が訪れます。
最上段で他校と練習試合をしたんです。
練習試合ですから,この日部員は殆ど試合に出ることができました。
ただし,私ともう一人の一年生を除いては。
しかも,練習試合には当時中3だったN崎君も出たんですよ(現役の指導頑張ってね)。
これにはさすがの私もショックでした。一年後に入部してくる中学三年生よりも,監督は私に興味がないのか・・・と。
元々泣き虫だったってこともあるのですが,自然と涙がでてきました。
でも,決して「悲しくて」泣いたわけではないのです。
自分の意識の低さにあらためて気づいたのだと思います。
自分よりも中3が選ばれることで,はじめて「悔しい」という気持ちを抱くのですから,当時の私の部活に対する意識の低さというのが容易に想像できるかと思います。
当時の私は部活を惰性で続けていたんですね。
また,この涙は「嬉し泣き」でもありました。
実は,練習試合が終了した後,監督のこの起用法に対し,何人かの同級生が直接監督に意見してくれたのです。
私の涙腺は,彼らが監督と話しているのを見つけたときに緩みました。
・・・嬉しかった。本当に嬉しかったです。
当時は「ありがとう」なんて言える余裕すら無かったですから,今ここで言います。「ありがとーう!」(見てねぇか:笑)。
また,その日の試合終了後の部室は妙に明るかったのを覚えています。考えすぎかもしれませんが,みんな私を気遣って励まそうとしてくれたのかも。考えすぎでしょうか?もしそうだったのなら,本当に嬉しい限りです。
あの日は自分にとって,最悪で最高な一日でしたね(笑)。今でも一番の思い出です。
一部の同級生は抗議してくれたのですが,実は私は監督の起用法を責めるような気持ちには全くなりませんでした。
当時の私にはそれだけの魅力がなかったから,要は自分が悪いのだ,と猛省したのです。
「自分が情けない」という気持ちで一杯でした。
私は現在,職業として「核酸化学」や「分析化学」に関わる研究に携わっているのですが,先日の福岡の学会では,他のグループの発表が非常に興味深い一方,自分の発表は正直イマイチでした・・・
非常に反省の多い学会になり,学会後はブルーになりましたよ。
しかし,今は「次こそは皆を驚かせるような研究をしたい!」という気持ちで一杯です。
同じような気持ちを,そういえば高校サッカー部に入部したときに味わったなぁ・・・とふと思い出して今回のOB日記で書かせてもらいました。
「情けない」とか「悔しい!」と思うことは大事ですよね。
でも,もっと大事なのはそれを素早くプラスのエネルギーに変換して,自分をひとまわり大きく成長させること。
逆に,こういう気持ちが無くなってしまうと,人は成長しなくなるのかもしれません。
団体活動である以上,色々とトラブルは尽きないと思いますが,それらは全て監督や選手たちの成長を促す糧になると信じ,しっかりと意識を持って,大切な高校三年間の部活動を有意義なものにしてください。
影ながら,城北高校サッカー部の御発展をお祈りしています。
2005年10月07日
広島城北高校サッカー部 29回生
ヒラ部員 吉本 敬太郎