「情熱」
34回生の畑紀寿 (はた のりかず) です。
このようなOB日記に自分も関われていることを嬉しく思うとともに、心地よい緊張感を感じながら書かせていただきます。
自分の近況をまず書かせていただきます。
自分は八丁堀にある広島YMCAウエルネススポーツセンターに勤務させていただいており、現在はアスレチックジムの責任者兼パーソナルトレーナー (お客様とマンツーマンで運動を指導しています) として仕事をさせていただいております。
学生時代からサッカーという運動を通して、運動の素晴らしさを肌で感じ運動に携わる仕事がしたいと思い、約4年前にこの施設に入らせていただきました。
当時は資格も何も持ってなく現場で掃除や監視など自分にできることをして、資格取得の勉強を上司に手伝ってもらいながらの生活を続けていました。
トレーナーとしては、2年半前に資格を取得 (2007年に全米NSCA認定パーソナルトレーナー、2008年に全米NSCA認定ストレングス&コンディショニングスペシャリストを取得) し、現在は上記のようにジムの管理と共にパーソナルトレーナーとして働かせていただいております。
自分の好きな事を職業にでき、毎日が非常に充実しています。
「自分の得意なことでヒトに喜んでいただき、お金をもらえる運と環境に感謝しなきゃ」と言われたことがありますが、その通りだと思います。
そして、自分がこの職業になるきっかけを与えてくれたサッカーには今でも特別な思いがあります。
勉強もろくにせず、サッカーしかしてこなかった自分はサッカーのことしか自信を持っていえません。
ただサッカーに関しては、プロになりたい・だれよりもうまく・強くなりたいと思ってやってきました。
これまでずっとサッカーをやってきてうまくなる方法はサッカーを心の底から愛することのように思います。
言い換えれば、サッカーに対する情熱です。
そして、何が自分に必要か考えることも重要と今は思っています。
これさえあれば、自然と行動は伴うように感じます。
自分が城北にいた時代は今みたいに県ベスト8なんてもってのほか、県大会を目指す程度でした。
「城北は進学校でサッカーは二の次だからなかなかうまくなれないだろう」と思い中学3年の時、皆実に行こうと考えたこともありました。
環境面 (当時、広島市でない府中町は広島市の高校の合格率は非常に低かった) や親や宮本先生と話をして高校も城北でお世話になろうと決心しました。
結局、高校時は3年間県大会にも行けませんでしたが、自分自身はこの高校時にすごくうまくなれたと思います。
一年生の4月のインターハイ予選から公式試合に出してもらい、怪我もなく練習試合も含めほとんど全ての試合を経験できました。
試合は自分の長所・短所、練習の成果などを知ることができるため、一年生の4月から試合ができることは非常に大切だったなと思ってます。
試合・練習の後はよく家の近くのグラウンドでボールを蹴っていました。
しかし今思えば、ただ漠然とシュート練習するのでなく「なんで身体が安定しないのだろう」などと考えながらできていたらもっと成長が速かったかなとも思います。
ですが、やっぱり一番大切なのはサッカーに対する気持ちだと思います。
それが強ければ強いほど、うまくなれる可能性は高いと思います。
もちろん家庭や周りの環境も大切ですが、情熱が弱ければ考えることもできないですし、成長は低いと思います。
現在、うちの職場の野球出身のトレーナーとよく話をするのですが、「もっと前に身体やトレーニングの知識があったらなぁ〜。もっと考えて練習すりゃよかった」と語り合うことがあります。
後ろを振り返るのは好きではないですが、大学や高校時代さらには中学時代にボールをただ蹴るだけでなくもっと深く考えてできていたらと思うことがあります。
自分は現在29歳ですが、効果的にトレーニングできているせいかスプリント(瞬発力、短距離を走る能力)やクイックネス(加速減速・方向転換の能力)が向上し、当たり負けしない強さがついています。
技術もフィジカルについてきています。
どこまで成長できるか自分の身体で実践してみようと今は考えています。
ヒトにより様々な価値観があると思いますが、自分が知っている限りでは何であれ本人が情熱に満ち溢れ、心底好きなことをやっているヒトは生き生きしてる様に思います。
一日の多くを割かねばならない仕事であれ、趣味であれそのように感じます。
自分自身の中では一回しかない人生、自分らしさを失わないように他人に多大な迷惑をかけない範囲で自分の道を歩んでいこうと思っています。
2010年02月15日
34回生 畑 紀寿