日本は暑いですか?
どうも。ブラジルより、信広 翔です。
さてさて前回に引き続き、ブラジルからの日記 Vol.2です
皆さんには、軽い気持ちでも結構ですので、日本の裏でこんなことやってる城北OBがいるんだなーと楽しんでいただきながら、この日記を読んでいただけたら幸いです。
現役生から同期のみんな、先輩方から城北の先生、保護者の方々、広島の新球場のみんな、関大の友達・・・
どんな方でも大歓迎です!
コメント、ぜひぜひよろしくお願いしますね!楽しみにしています。
では、早速!
建設、パン屋、ペンキ塗り。
ボランティアとして様々な仕事を体験させてもらいつつ、モンチアズール (Vol.1 参照) の創始者であるウテ・クレーマーさんに設立当初のお話を伺う機会もあった。
また、サンパウロ新聞 社長 鈴木 雅夫さんと、JICAサンパウロ事務所の村本 清美さんへの取材、日本語教室への参画、日本人5人でストリートサッカーに参戦、モンチの食堂で200人分の焼きそば作りなど、サンパウロでは過密ながら充実した日々を過ごすことができた。
ここで、ウテさんとの会話を少しだけ。。。
ウテさんはドイツ発祥のシュタイナー教育という教育法の偉大な先生である。
彼女が初めてモンチアズールに来た時は、驚くほど生活の質は低かったそうだ。
いつ壊れてもおかしくないようなバラック小屋が建ち並び、そのすぐそばを下水が流れている。
家族が生きていくために最低限のお金しかなかったため、子どもは常にお腹をすかせており、家をまわって少しのパン切れなどをもらって歩いていた。
もちろん、治安も悪かった。
「毛布をくれ。」「パンをくれ。」と物乞いをする子ども。
子どもが必要としているのは、毛布やパンだけなのか。単に寒いだけなのか。単にお腹がすいているだけなのか。
ウテさんは、子どもたちがその先にある何かを必要としていると感じたのだ。
そして、それが何なのか来る日も来る日も悩み続け、ようやく出た結論は、"子どもを子どもとして見て、受け入れてあげること”
そう考えたウテさんは、物乞いをする子ども達を自宅に呼び、ご飯を与えるだけでなく、何人もの子どもたちとほぼ一緒に生活するようになった。
ウテさんの家に来る子というのは、何事もじっとできずすぐカッとなる子もいれば、盗みや殺しまでする子までいた。
警察に追われている子までもウテさんは受け入れ続けたのだが、彼らはその後、建設の現場で働くなど、自分を超えて人に何かを与える仕事をするまでに更正していったのだ。
もちろんウテさんは、その子達を警察に連れていった。
そこで警察に事情を熱心に伝えると、警察側もそれをわかってくれたようで、刑罰は何もなかったこともあったそうだ。
ウテさんにはエネルギーがある。
「何がウテさんをそこまで動かすんですか?何でそこまで人に何かを与え続けることができるんですか?」
「与えるよりも帰ってくるものが大きいから、それが原動力になってるだけよ。
喜びとかね。
そしてもちろん、自分が好きなことだけではなく、必要なこともやらなきゃいけないの。」
ウテさんは、さも当然のごとくその質問に答えた・・・
JICAサンパウロ事務所の村本さんという方にお話を伺う機会もあったのだが、彼女は仕事上色々な国際協力の現場と関わっている。
そこで感じたのは何かエネルギーのある人というのは、「お金を通り越した使命感」を感じているということ。
仕事って何なのか。
働くって何なのか。
その難題は、常に自分に問い続けるべき問題なのかもしれません。
他にも色んな話を聞くことができたのでそれを全て皆さんに伝えたいんですが、量が多すぎるのも申し訳ないのでこの辺で。
モンチアズール出発前夜には、お世話になった方々(と大勢のブラジルの美女)を招き、宿泊先のリンダウバ家でパーティーを開いた。
友人達と、ビール10本とカイピリーニャを飲み交わし、若干二日酔いのまま別れの朝を迎えた。
家族同然のように世話してくれたリンダウバ。
本当にありがとう。(こんな酔っ払いの僕を。)
なぜリンダウバはボランティアを受け入れ続けるのか。
「それは、それが好きだから。」
リンダウバはそう言っていた。
こうしてサンパウロ・モンチアズールを後にした僕達 (スタディーツアー参加者一同) は、現在セアラ州カノアケブラーダ地区・エステーヴァン村というところに滞在しています。
(赤道からすぐ近くなので、ほぼ冬はありません)
人口300人ほどの小さな漁村。
ほんの10年前までは何から何まで物々交換で生活していた彼らだが、グローバル化とともに急激な資本主義の流れが押し寄せ、村人達の生活が脅かされている。
今では特別政府保護地域として、彼らの生活は最低限守られるようになってきているのだが、それでも「お金」というものに惑わされ、夜の商売やドラッグに手を出す親や子どもが出てきたりなど様々な問題が起こっている。
とは言っても、普通に生活しているととても見えにくい問題ばかりである。
海、砂丘、森という大自然に囲まれた小さな村には、温かい村人がいて、彼らは生きていくことに問題をほとんど感じていない。
いや、感じていてもそれを決して表に出さないといったほうが適切かもしれない。
いづれにしろ、日本より経済的に貧しいはずなのに、生活している村人は日本人よりよっぽどか幸せそうに見えるのだ。
村を歩くだけで、何人もの人に話しかけられる。
「よう!お前どっからきたんだ?」
「名前なんていうんだ?」
「今日はいい日だな!」
約1年前に、僕はこの村を訪れ、この村に魅了されてしまった。
誰かにこの魅力を伝えたくて、大学を休学してまで今回のスタディーツアーを企画したのだ。
この村は、間違いない。
もし何か人生に行き詰ったとしたら、ぜひこの村に来てほしい。
そうすれば、必ず世界が変わる。
この村は、それほどの魅力を持っていると思う。
今は、このエステーヴァン村のど真ん中にあるコミュニティーセンター (郵政民営化前の税金から作られたもの) で生活している。
シャワーは水しか出ないし、ご飯は自分で作らないとと何もない、テレビなんてもちろんないし、洗濯だって手洗いだ。
便利な生活ではないけれど、不自由なんて一つもない。
言うとすれば、虫除けスプレーなんかにビクともしないモスキート軍団だけだ。
ちなみに昨晩だけで、すでに10ヶ所以上から僕の血は持っていかれてしまった。
今日は照りつける太陽の下、村の子に延々と砂浜を歩かされ、砂丘を登らされ、森の奥まで連れていかれた。
そんな生活が、とても心地いい。
疲れきった体で、夜風に吹かれながら寝るハンモックなんて最高だ。
これからどんな生活が待ってるんだろう。
1年前に友達になった子は、僕のことをしっかりと覚えてくれていて、見つけては「しょー!!」と叫びながら抱きしめてくれる。
満たされていないようで、満たされた環境。
そこで僕は何を感じ、何を行動し、何を学ぶのか・・・
楽しみだ!!!
エステーヴァン村での生活はまだまだ始まったばかり。
「半年」という短いようで長い、長いようで短い僕に与えられた貴重な時間を、ここで大切に過ごしていきたいと思います。
ではでは、またの日記をお楽しみに。。。
ちゃおちゃお
2009年08月19日