遂にこの日がやってきた。
8月にここに来た時のことが、昨日の事のように思える。
ここで一体、僕は何を学んだんだろう。
日本の裏側にあるブラジルという地で、文化も言葉も何もかもが違うこの地で、日本では誰も知らないような小さな村の住民と一緒に生活してきた。
エステーヴァン村。
何もかもが愛おしく、下手な言葉で表すのがもったいないくらいだ。
「どうだった?」と、ここの生活のことを聞かれたら、僕はどう答えるんだろう。
おそらく、「学び多き日々だった。」と僕は答えるんだろう。
「何を学んだのか?」と聞かれたら、僕はどう答えるんだろう。
おそらく、「当たり前のことを学んだ。」と僕は答えるんだろう。
問題について考え、それに向かって行動すること。
そんなのは、得点力不足のチームが決定力を上げるための練習をするように、部活だって、これからの社会だって同じことだし当たり前のことだろう。
自分が今ある環境でどうあるべきか。
そんなことを考えながら常に行動することだって同じだ。
そんな当たり前のようなことを挙げるときりがないけど、僕はそんな当たり前のことを深く考え、じっくりと実践できたことは自分にとって本当によかったと思う。
IT革命が起こってからというもの、情報というものはいつでもどこでも入手できるようになった。
どこかの偉人のいい言葉とか、価値ある本のまとめとか、歌や絵画に隠された深いメッセージなど、コンピュータをいじるだけですぐに見ることができる。
もちろんそれは素晴らしいことだと思うけど、僕はここにきて思うのは、それを自分のものにするには本当に熟成期間が大切だということだ。
それがなければ、知識に留まってしまうのだ。
わかったつもりになっていたら、同じ問題で同じ失敗をしてしまう。
その場その場で慰めになる自分にあった言葉を見つけ、そこに逃げてしまうのでは、学ばない姿勢では、人生においてその問題は、その人に永遠に繰り返されるのだろう。
「三度目の正直」と「二度あることは三度ある」。
これはその時々にとってどちらも事実になりえます。
この世界に絶対的な真実なんか何もなくて、全ての事象はその時々の状況によって変わってくる。
だから、学び続けないといけない。
学びではない「情報」ばかりをかき集め、凝り固まった考えに固執していては先に進めない。
矛盾ばかりのこの世の中で学びながら立派に生きていくためには、一件真逆に思えることをどちらも理解し続けければならないのだろう。
と、カノアには関係ない人生論のような文章になってきているけど、こんなことを考えることができたのも本当に価値あることだったと思う。
大学を休学し、自分の周りにある社会の流れに逆らってみた。
いざ自分のすべきことがなくなったからこそ、生きる上で根本的なことを、多く深く考えることができた。
わかっているつもりだったことを、もう一度理解し直すことができて、より深く考えることができた。
そして、そのこと自体の大事さも再確認できた。
あと2時間ほどでエステーヴァン村を出発します。
具体的なことを書いても関係者じゃないとわかりにくいだろうし、説明するにも今は何より時間がありません!
だから今回は、具体的なことを書くのは避けようと思います。
人生で最初に最後になるであろうブラジルでの最高のクリスマス、誕生日、年末をここで過ごし、最高の年明けを迎えることができた。
年が変わった瞬間に海の波を後ろ向きで3度飛び越え、自分の願い事をした。
去年一年を振り返り、今年の目標を掲げた。
希望に満ち溢れた2010年は、楽しみで仕方がない。
きっと2010年も、今最高だったと思っている2009年を超えるくらい最高の年だと思えるのだろう。
書きたいことは山盛りだけど、時間がありません。
ゆっくり消化しながら、機会があればそれも皆さんにお伝えできたらなと思っております。
最後に砂丘をのぼった陽は、曇っていて太陽が見えていませんでした。
皆が太陽が出るのを祈っていると、一瞬だけ眩しい光とともに太陽が姿を現し、そこにいた皆が言いました。
「翔のために太陽が出たんだね。」
そこにいた30人ほどの村人から拍手してもらいました。
そして今は雨が降っています。
友人のマルシアーノがこう言ったそうです。
「空も泣いてるんだなー。」
また、どしゃ降りの中、今シキトが僕のために漁に行って魚をとってきてくれています。
最後の最後まで、この村は僕に「与える」ことをやめないようです。
では、そろそろ時間です。
一番言いたいことっていうのは、いつも結局こうなるんですね。
それでもやっぱり声を大きくしてこう言いたいです。
「ありがとうございました!!」
2010年01月04日