最高気温3℃って・・・
はんぱね〜っ!! (笑)
日本、すごいことになってるみたいですね。
果たして飛行機は飛ぶんでしょうか。
無事日本に帰れるのでしょうか。
最近ホテルでNHK流しっぱなしにしてるんですが、いやーNHKおもしろいです。
JALのCEO、稲盛さんが承諾されたようで、これからJALの経営がどう傾くのか本当に楽しみですね。
どうにか稲盛さんの手腕で、日本の空の翼をもう一度飛ばせてほしいです。
相変わらず怪しい政治の裏側や、貴金属店の事件とか離婚トラブルとかで悲しい事件もあるようで残念ですが・・・
とにかく、日本っていう国に早く帰りたい!!
月曜日から、イパチンガにやってきました。
今回の目的は、このイパチンガにあるウジミナス製鉄所を訪問、見学すること。
ウジミナス製鉄所というのは、戦後まもない時期に前例がほとんどないまま日本とブラジルが協力し合い、幾多の苦難を乗り越えながら今では国際協力の金字塔としても知られるほどに成功を収めている会社です。
僕は、製鉄所の設立当初から現場に関わっていた従業員の方が当時の状況を書き綴った「鉄の絆」という本を読んだことがあり、その頃から興味を持ち始めていました。
そこで、卒業論文のテーマ探しとして実際に現場に訪れてみようと思ったのです。
以前会社に電話をした際、火・水・木なら通訳付きで案内ができるとおっしゃっていました。
そこから何度もメールを送ったのですが、その返事はいつまでたっても帰ってこず、結局直接行って交渉することにしました。
やれることはやったんだから、行くしかない、と。
イパチンガについてから、まずはホテル探しです。
調べてもユースホステルなんかなかったし、何より暑い。猛烈に暑い。
重くてデカいバックパックを持ってこの灼熱地獄を歩き回るのは無謀だったので、最初のホテルが勝負でした。
バス停を出てから東に行くか、西に行くか。
はたまた北なのか、南なのか。
直感人間の僕は、自分を信じて歩いてみました。
すると、すぐ近くに安そうなホテル発見。
「50レアルくらいならとりあえず今日はここにしよう・・・」
(現在1レアル = 約50円)
とダメもとで一泊の値段を聞いてみると、なんと25レアル。
ほほほーい。
即決。
やっぱり自分の感は一番頼りになるみたいです。
この日はもう夕方だったし、ゆっくり体をやすませることに。
小さな蒸し風呂のような部屋で、一晩を過ごしました。
火曜日。
朝から張り切ってウジミナスへ。
・・・といってもデカイデカイ。
どこからどこまでが会社なのかもわからなければ、入り口がどこかもわからない。
やっとのことで入り口を見つけて入ろうとすると、警備員に止められてこう言われました。
「受付のあるゲート2からじゃないと入れないよ。それと、長ズボンをはきなさい。」
急遽スーツ用の長ズボンを購入し、モートタクシーを捕まえゲート2へ。
受付で訳を説明して待っていると、どうやらその担当の人がいるところへ行ってくれとのこと。
また移動か・・・
とはいってもモートタクシーは帰ってしまった上に、電話番号も控えていなかった。
移動手段、我が足のみ。
「歩いていける距離じゃねーよ。」とは言われながらも、住所の紙をもらってから、なんとかどこかに着くだろうと歩き始めました。
何分か歩いていると、ウジミナス・メカニカっていうとこにつきました。
そこでも僕が以前電話をした人を探してくれたのですが、あいにくお昼時間だということで、今はいないとのこと。
「とにかく一緒に飯でも食うか?」
と誘われ、ウジミナスの従業員の方達と一緒に昼食をとることに。
いやー、本場のシュハスコはうまい。
その後、親切にもモートタクシーを呼ぶだけ呼んでくれたので、彼にお願いして渡された住所まで運んでもらった。
降りたとき、今度はちゃんと番号を控えときました。
早速インフォメーションセンターに行き、これまでの事情を全て説明し、会社を案内してくれると僕に電話で言った方を探してもらいました。
その結果・・・
彼は現在休暇中とのこと。2月まで。
・・・?
結論から言うと、入れませんでした。
こういう会社案内とかを担当してる責任者の人がいるんだけど、その人が今ここにいない以上どうすることもできないんだと。
「日本から来たんだぞこんちくしょー。」と、しつこく交渉してみたものの、効果なしと判断せざるを得ませんでした。
しょうがないから記念にゲートの写真でも撮って帰ろうかと、ゲートに近づてカメラを出したところ、警備員に言われました。
「写真を撮るな」
・・・はあ?
なにやらシステムを知られないためだとかなんとか。
こんなに目の前にある会社をぐるぐるぐるぐる回って、結局入るどころか門の写真さえもとれないのか・・・
くやしくて遠めに門の写真を撮った自分を、なんとも虚しく感じました。
いやー、やっぱり計画性って大事なんですね。
ブラジルならなんとか・・・って甘く見てたけど間違いでした。
やっぱり社会っていうのは厳しいもので、見事に当たって砕けたわけです。
とはいっても、22歳の若造が朝青龍に相撲を挑んだようなもんですけどね。
大きな相手と勝負する際は、それなりにしっかり準備しないと無駄なだけなんですね、やっぱり。
まあ今回はそれを感じることができただけよかったとします。
突然目的を失ってしまったので、次の日は地元プロサッカーチーム「イパチンガ」のスタジアムを見に行きました。
なんか小さな門が開いてたから、ささっと誰にも見つからないように入りました。
「入るな。」みたいな標識はあったけど、見つかったら知らなかったって言えば日本人だしなんとかなりそうだったので・・・
と、どんどん進んでいくと、スタジアムの中にまで入れちゃったんです (笑)
今スタジアムを修理中で、芝も何もないところを工事している最中でした。
レア。
しかも、帰り際に選手陣と遭遇。
更にある選手が話しかけてきました。
「ジャパン、ジャパン!!」
名前は忘れてしまったんですが、彼は山形でプレーしていたとのこと。
怪我してこっちに帰ってきたみたいなんですが、日本はいい国だなー。と言っていました。
とは言っても彼はブラジル人。
9割方下ネタでしたが (笑)
ちなみに彼が、「ケンタロウさん、トモダチ!」と言っていたんですが、誰か山形のなんとかケンタロウって選手ご存知でしたら教えてください!
やることなくてひまなので、今回の日記も長ったらしくなってしまってますね・・・
最後にもう少しだけお付き合いしてください!
この一泊25レアルのホテル、なんかおかしいんです。
くそ暑いのはまあいいんですが、夜になるとどうも体調が悪くなるんです。
特に胃が。
朝とか昼はどうでもないのに、毎夜毎夜ほんとに苦しくなるんです。
病院に行こうかとも思ったんですが、ブラジルの公立病院なんて前例もあってこわくて行けません。
一人、ベットの上でもがいていました。
(ほんとに苦しかったんです!!おそらく今晩も・・・)
そんな時ですね、一番強く思うのは、「故郷に帰りたい」ってことだったんです。
いやー、その思いは強いですね。自分自身で痛感しました。
僕なんかちょっとした旅でちょっとしたことなんですが、それでも僕にとっては緊急事態で、本当に辛かったんです。
「自分を待ってくれてる人に会うまでは・・・」
って、ベットの上で壁を叩きながら耐えていました。
(朝がきたらケロっと治るんですよ、なんとも不思議なんですが (笑)
まあ何が言いたいかっていうと、家族を初めとして今まで僕にメールとかメッセージとか送ってくれた人達に本当に感謝してるってことです!
誰かのためにって思うと、人は強くなれるのかもしれないですね。
結局はそれが自分のためであったとしても。
イパチンガ、謎のホテルのベットの上より・・・
2010年01月15日